一人の平社員が親会社を動かすまで──“出資”から“投資”へと変わった2年間の軌跡

原点とこれから

■ 「ここは、もっとできる」──そう感じた瞬間から始まった
メガネスーパーを離れ、オープンアップウィズ(旧ビーネックスウィズ)に転職したとき、
私は衝撃を受けました。まるで作業所のような空気。
スタッフは指導員に一つずつ作業を報告し、次の指示を待つ。
当時は、契約書のPDF化や総務のアウトソーシング業務なども行っていました。

でも、**「この職場には、もっと可能性がある」**と、直感で感じたんです。

■ 一人ひとりのポテンシャルが、眠っていた

入社して最初の半年は、徹底して「観察」と「対話」に集中しました。

・演劇に情熱を燃やす視覚障害の方

・自社カレンダーをデザインしていた元プロ

・ボードゲームを制作し販売しているスタッフ

・完璧な作業を淡々とこなす元デザイナー

・釣りとチャレンジ精神にあふれた人

こんなにも魅力的な人が集まっているのに、「日の目を見ない」のは、もったいないと思いました。

■ 旗を掲げた。「障害者と健常者の相互扶助」そして「才能の社会開放」

オープンアップグループの社長が参加する「ウォーキングフットサル」大会にも自ら出向き、
他支部や社長の空気を肌で感じながら、グループの本質を探りました。

半年後、私は一つのコンセプトを掲げました。

障害者と健常者の相互扶助。そして、突出した才能を世に出す。

一人から始まった活動でした。
「そんなことを考える必要はない」と笑われ、企画書すら扱われなかったこともありました。
でも、現場を見て、信じた未来に向かって行動し続けた。

■ 一人の社員から始まった「黒字化」と「投資先への昇格」

提案を続け、環境を整え、新たな業務を受け入れられる体制をつくっていきました。
結果、アウトソーシング部門が黒字化。会社始まって以来の初の黒字部門が誕生しました。

気づけば、支援してくれる仲間が増え、組織も動き始めました。
そして、2年。ついに、親会社であるオープンアップグループから、

「障害者雇用のための出資先」から「投資対象」として認定。
完全子会社化(100%子会社)へ──。

役員3名が親会社から執行され、外部顧問まで招ける規模に。
私が描いた「ちょこJOB」や人材育成プログラムも、呼び水となりました。

■ 「やるか、やらないか」──何度も“クビ覚悟”で出した提案書

一番下の立場から、上層部を動かすことなんて不可能だと、何度も言われました。
でも、それでもやり抜いた。毎回、クビ覚悟で出してきた提案書。

誰もが口にしなかった未来を、僕は口に出し、行動で形にしてきた。
なぜなら、僕が見ていたのは、**“従業員の幸せ”と、その周りの人の夢”**だったから。

■ 最後に
僕はただの平社員でした。
でも、本気の想いと行動は、組織の流れすら変えることがある。
それを、2年かけて立証してきたつもりです。

応援してくれた方、支えてくれた方には、心から感謝しています。
そして、このブログを読んでくださったあなたにも──。

「やりたい」と思ったなら、立場なんか関係ない。
一歩を踏み出してみてください。

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